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スペクター・ベース特集

スペクター・ヒストリー:
職人が手作業で楽器を製作する“工房系メーカー”の先駆けとなったブランド

スペクター・ベース特集:スペクター・ヒストリー

70年代後半、ニューヨークはブルックリンで発足し、職人が手作業で楽器を製作する“工房系メーカー”の先駆けとなったブランド、スペクター。従来のベースの概念をくつがえす独創的かつスタイリッシュなデザインとサウンドは、現在のシーンにも大きな影響を及ぼしている。今回はスペクターのこれまでの歩みを紐解きつつ、創業者であるスチュワート・スペクターのインタビューなどからブランドの核心に迫りたい。

楽器作りの基盤となった数々の職人との出会い

 スペクターの歴史は、1974年にスチュワート・スペクターが、友人が所有する戦前のギブソン製のバンジョーを見たことに端を発する。このバンジョーのネックはオリジナルではないものがセットされていたのだが、それは友人の知り合いが自宅で作ったものだった。それを知ったスチュワートが、自分にもギターやベースを作れるのではないかと思ったことがそもそもの始まりである。

 当時、ニューヨークのブルックリンの共同住宅に住んでいたスチュワートは、部屋に作業台を作り、工具と木材やパーツを買って、友達の助言を借りながらベースの製作を開始する。その時代はエレクトリック・ギターやベースを製作するうえで具体的な手引きとなるような書物はなかったそうだが、ある1冊の本と、あとは手作業で楽器製作を始めたのである。

 その後、試行錯誤を繰り返したが、近所で木材を加工する設備を持った木工職人のビリー・トーマスと知り合ったことで大きく進歩を遂げる。ギターとベースもプレイするビリーから技術と知識を学んだスチュワートは、開始から約2年を費やしてフレットレスのメイプル・ネックに、パドゥークとマホガニー・ボディを組み合わせた最初のベースを完成させる。フレットレスにしたのは、フレットの取り付けの手間が省けるからという単純な理由からだった。

 時を同じくして、ビリーや仲間たちがブルックリンにある古い工場のロフトを借りて、“Brooklyn Woodworkers Cooperative”という名の共同作業場を立ち上げると、スチュワートもそこに間借りし、本格的にベースの製作を開始する。そして、初期の頃に製作した1本のベースをニューヨークの48thストリートにある楽器店“Gracin & Towne Music”に持って行ったところ、“これなら売れる”と言われ、450ドルで買い取ってもらう。これで自信をつけたスチュワートは1976年に共同作業場で作業をしていた元家具職人のアラン・チャーニーと共同でスペクター社を設立。そして、最初に雇ったのが、のちにフォデラ・ギターズを立ち上げるヴィニー・フォデラだった。

ブルックリンの工房で撮影された1976年の写真。左に写っているのが、若き日のスチュワート・スペクターである。

 こうしてスタートしたスペクター社は、初号機を元に進化させた1ピックアップのモデル“SB-1”を1979年までに約100本、2ピックアップの“SB-2”を約20本製作。そんななか、会社にとって転機となる出来事もあった。家具のデザインや製作を手掛けていたネッド・スタインバーガーとの出会いである。1976年のある日、スチュワートたちは、ある家具工房で木工用の機械が売りに出されているという話を耳にする。早速、工房を尋ねると、その工房のオーナーは別の事業への転身を考えており、その機械を売りたいとのことだった。彼らは機械を購入するとともに、その家具工房でアシスタントとして働いていたネッド・スタインバーガーも共同作業場に受け入れ、ネッドはそこで家具のデザインや製造を続けることになる。すると、スチュワートたちのベース作りに興味を持ったネッドが“ベースのデザインなら、おそらく僕にもできると思う”と言い出したという。そこで、スチュワートが“やってみてくれよ”と頼んだところ、1週間後に椅子などのデザインを通じて身につけた美しいカーブを取り入れたボディを持つベースのデザインが完成した。そのデザインを気に入ったスチュワートは、それを元にベースを製作。そのモデルはネッド・スタインバーガーの頭文字を取った“NS”シリーズと名づけられ、まずは1ピックアップの“NS-1”を製作。さらに1979年には2ピックアップの“NS-2”を発表した。これがプロ・ミュージシャンから高く評価され、スペクター社の名前はじわじわと知れ渡るようになったのである。なお、ネッド・スタインバーガーは同時期にヘッドレスのベース・ギター“L2”をデザインし、1980年にスタインバーガー・サウンド・コーポレーション社を設立した。

紆余曲折を経て続くブランドの進化

 “NS”シリーズは、人間工学を生かした体にフィットするなめらかな曲線の小柄なボディ・シェイプ、スルーネックなどいくつかの特徴があったが、 特にPタイプとJタイプのふたつのピックアップを搭載していた“NS-2”は、Pタイプのピックアップを通常とは反転させて付けていたのがポイントで、またアクティヴ・サーキットの搭載も注目を集めた。

 この“NS-2”の成功により、ブランドとしての知名度が上がるなか、スチュワートはニュージャージーを拠点に置いていたクレイマー・ギター社から買収の話を持ちかけられる。当時、クレイマーはエディ・ヴァン・ヘイレンが使用したことで急成長を遂げていた時期であり、市場拡大を狙ってベース・ブランドを傘下に置きたいと考えていた。そこでターゲットとなったのがスペクターだったわけである。スチュワートは少人数によるベース製作に限界を感じており、このオファーに乗ることで、会社の経営は任せて、楽器のデザインや製作に集中できるのではないかと考え、スペクターの名をブランドとして残すことを条件に買収を承諾。スペクター製品は“SPECTOR:A DIVISION OF KRAMER GUITARS”というラベルが付けられて発売されることになった。

職人の手作業により1本1本丹念に製作するのは、創業当時から一貫している。写真はフレットの処理をしている様子。

 クレイマー傘下に収まったことで、工場はニュージャージーに移り、最新鋭の設備や多くの従業員にも恵まれるなど生産性は向上したが、1990年にクレイマーが財政破綻に陥り、1991年1月に倒産。スペクターの商標がクレイマー社の知的財産に含まれていたことから、スチュワートはスペクターのブランド名を取り戻すために8年もの間、裁判で争うことになってしまう。ただ、ベースのデザインの権利はすぐに取り戻すことができたため、スチュワートは、1991年にニューヨークで新ブランドのスチュワート・スペクター・デザインズ(SSD)を立ち上げ、“NS”を少しシャープにしたような“SD”シリーズを発表。さらに1992年から“NS”シリーズも復活させると、1996年からはジャズ・ベースを変形させたような“B.O.B.”シリーズと新しいモデルも登場させる。その一方で、1994年からは優れたルシアーや木材資源が潤沢なチェコにも工場を作り、ヨーロッパ・シリーズとしてニューヨーク(USAシリーズ)と同等の高品質の楽器を低コストで製作することも成功させている。

 1998年にようやくスペクターの商標を取り戻したスチュワートは、“NS”シリーズに改良を加えることを決意する。アバロンを採用していたクラウン・スタイルのインレイをパールに変え、スチュワートが以前デザインしたブリッジを復活させるとともに、サドルの調節が可能なイントネーション・スクリューという機能も搭載。さらに5弦と6弦ベースには35インチのネックを採用、これまでのスルーネックに加え、ボルトオン・タイプのモデルも誕生する。

ルーターを使って、ピックアップ・キャビティなどのスペースを作っているところ。

 ニューヨークのウッドストック郊外にて、受注生産によってハンドメイドで製作されるUSAモデルは、スルーネックのモデルが月産6〜10本、ボルトオン・モデルが月産20本弱となる。生産数が限られていることから、“NS”の余分な装飾を取り省き、価格を抑えた“FORTE”モデルもラインナップした。さらに現在はチェコのヨーロッパ・シリーズに加え、韓国産のプロフェッショナル・シリーズ、インドネシア産のパフォーマー・シリーズといった低コストの量産モデルも発売されており、一流のプロから初心者まで、あらゆるプレイヤーのニーズに応える高品質のモデルを提供し続けている。

 

シリーズ・ラインナップ:銘器NS-2からコストパフォーマンスに優れたシリーズまで
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