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Gibson Les Paul(ギブソン/レス・ポール)

Gibson Les Paul(ギブソン・レス・ポール)の歴史と変遷(記事一覧はこちら)

レス・ポール・レギュラー/スタンダードの変遷 Part1(1952年型〜1954年型)

【1952年型】発売当時は、単に“レス・ポール”がモデル名だった

 1952年に発売された当時、まだレス・ポール・モデルにはスタンダードの名称は使われず、単に“レス・ポール”がモデル名だった(“スタンダード”のモデル名が使用されるようになるのは1960年)。

 1952年型の基本的なスペックは、ボディには2~3ピース(多いものでは6ピース)のメイプル・トップと、それに対して例外なく1ピースのマホガニー・バックを採用。1ピースのマホガ二―・ネックに、ブラジリアン・ローズウッドの指板が載せられていた。同年型の大きな特徴は、上記のプロトタイプの項目で述べた通り、質量の大きなトラピーズ・テールピース/ブリッジの採用と、それに伴うネックのジョイント角1度という仕様。これにより、歴代レス・ポールの中で最も弱いテンション感と、最も長いサステインを持つといわれている。

 こうしたスペックに加えて、この時期の同社の標準仕様が盛り込まれている。ペグはひとつの装飾リングを持つ、“1コブ”と呼ばれるプラスティック・キーストーン・タイプのノブを備えたクルーソンのデラックス・チューナー。ヘッドストック・フェイスにはホリー・ウッド・ベニアが接着されており、その中にマザー・オブ・パールによってインレイされた“GIBSON”の文字が入る。そして中央部分には、ゴールドのシルク・スクリーン印刷によって“Les Paul Model”の文字が添えられている。

 22本打たれたフレットは当時の標準的なスリム・サイズ。シリアル・ナンバーは入れられておらず、1953年途中からヘッドストック裏側にスタンプされるようになった。ふたつのP-90ピックアップはアイボリー・カラーのプラスティック・カバーに収められた状態で取り付けられており、同社初とも言える直線的なピックガードにもアイボリー・カラーのプラスティックが使用されている。

 実は、1952年型といってもまだ仕様が安定していない部分も見受けられ、ごく初期のものとそれ以降のものでは仕様が異なる。発売当初のみに見られる特別な仕様をあげておこう。六角形のチューナー・ブッシュ、先端にいくに従って薄くなるヘッドストック。ピックアップ・カバーに使用されているプラスティックは特に薄く、1953年にはその後も継続使用されるものへと変更される。

 またごく初期のギターでは、リア・ピックアップのみがキャビティの設計ミスから、2本のマウンティング・スクリューを中央部分に取り付けることができなかった。そのため、ピックアップの外側対角に2本のスクリューが設置されている。ゴールド・カラーのバレル型コントロール・ノブの厚みは5/8インチあったが、1952年途中には1/2インチへと改められる。さらに、最も初期のモデルにはネックのバインディングがないものもある。

 1952年型のレス・ポールを使用していたギタリストは、ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズ、B.B.キングなど、ブルースの巨人達の名前を挙げることができる。

【1953年型】トラピーズ・タイプのブリッジ/テイルピースからバー・ブリッジ/テイルピースへの変更

 1953年には、早くもモデル・チェンジが行なわれ、トラピーズ・タイプのブリッジ/テイルピースから、アンカー・ボルトをボディ内に打ち込むことで強固なマウントを可能としたバー・ブリッジ/テイルピース(スタッド・ブリッジともマッカーティ・ブリッジとも言われる)が採用される。やはり、レス・ポール氏本人をはじめ、当時のギタリスト達からもブリッジ・ミュートのし難さが指摘されたのだろう。
アルミニウムもしくはアルマグの鋳造加工によって製造されたブリッジは、2本のスクリューによって全体のイントネーションをある程度調整することができた。

 このブリッジはトラピーズとは逆に、弦を上から回す方式、つまりブリッジ・ミュートが可能な形式となっている。それに合わせてネックのジョイント角も、1度から3度に変更された。これらの変更により、リア・ピックアップと弦の距離は52年型より離れ、ピックアップ全体の高さ調整ができない当時のP-90では、リアの出力が52年型より落ちることになった。

 1953年型を使ったギタリストは、フレディ・キング、マイク・ブルームフィールドなど。

【1954年型】薄い初期型バー・ブリッジの厚みを増し、強化

 1954年には、レス・ポールの上位機種である“レス・ポール・カスタム”と、スチューデント・モデルである“レス・ポールJr”が発売された。それらの仕様については別項に譲る。

レス・ポール・カスタム(1954年型〜1969年型)
レス・ポール・ジュニア(1954年型〜1958年型)

 レギュラー・モデルの仕様の特徴は、強度面に関してやや問題があった薄い初期型バー・ブリッジが、1954年の途中から厚みを増したことだろう。同じ年に発売された高級機種レス・ポール・カスタムには当初からチューン・オー・マティック・ブリッジが採用されていたのに対し、レギュラー・モデルでは、この時期まだバー・ブリッジ/テイルピースが引き続き採用されていた。

 この時期のモデルに関して、レス・ポール氏本人が「ギブソンは、ボディー材を間違えた」と言ったという逸話が残されている。曰く、高い方のギターに安い材(レス・ポール・カスタムにマホガニー)を、安い方のギターに高い材(メイプル・トップ)を使ってしまったというのだ。確かに、今でこそホンジュラス・マホガニーの1ピース・ボディなど信じられない程貴重だが、当時はポピュラーで低価格の材であったなら(事実、廉価版のスチューデント・モデルであるレス・ポール・Jrは、アーチこそ付いていないものの高級機種のカスタムと同じくマホガニー・ボディが採用されている)、より手の込んだ作業を必要とし、複雑な音響特性を持つ積層構造がレギュラー・モデルに採用されている意味がわからない。

 レギュラーはゴールド、カスタムはブラックの塗りつぶしで塗装してしまったため、気付かないまま出荷し始めてしまい、結局そのままになったという。当時の商品管理がどのようなものだったのか分からず、真相は不明だが、後年になってレギュラー・モデルだけが塗りつぶしを止めてサンバースト・カラーに身を包み、その美しいトップ材を見せつけた事実を思えば、あり得る話なのかもしれない……。