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【#_SUPERCOMBO_ の機材夜話】第6回 DJ機材の過去・現在・未来(前編)

DJ機材

クラブ・ミュージック・カルチャーからの視点で音楽制作ツールを語る連載「#_SUPERCOMBO_の機材夜話」。いよいよ最終回が近づいてきました。最終章となる本編では、彼らの本分であるDJ機材の過去と現在、そしてこれからについて、3回に渡ってMEEBEE a.k.a KAZUHIRO ABOとDJ 1,2が語ります!

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MEEBEE a.k.a KAZUHIRO ABO(以下、ABO)── 現在のDJ機材って多種多様だし、DJスタイルや環境によっても重視されるポイントが違ってくるから、今回はなるべくていねいに幅広い視点で語っていきたいね。

DJ 1,2(以下、1,2)── そうだね。まずは僕たちの主戦場、クラブで使われる機材について語っていこうか。

クラブ黎明期を支えたレジェンド機材たち

ABO ── 1980年代から2000年代のはじめにかけて、Technics SL-1200シリーズが不動の地位を築いていた。Pioneer DJ(当時はPioneer)から、いわゆるCDJと呼ばれるテーブル・トップ型のCDプレーヤーが登場したのは1994年なんだけど、現在のようにタンテに近い感じでスクラッチできるようになったのは2000年代になってから。当時はレコードを使うのが主流だった。

Technics SL-1200MK7

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1,2 ── そして現在のクラブの定番ミキサーはPioneer DJ DJM-900NXS2が名高いけど、当時は何と言ってもVestaxが強かった。

Vestax PMC-50A(当時の製品カタログより)(※)

Vestax PMCシリーズの一部(当時の製品カタログより)(※)

ABO ── 当時のハイエンド・クラスのDJミキサーというとヒップホップではVestax PMC-50A、テクノやハウスの現場では RODEC MX180/240やロータリー・フェーダーが特徴的なUREI1620が有名。日本の大型ディスコでは、SSR-5000”技”ミキサーという国産のオーダーメイドDJミキサーも使われていた。

1,2 ── 2000年代半ばくらいまで、ヒップホップの現場はなんと言ってもVestaxが主流だったね。中でも同社のPMC-05シリーズはヒップホップ・ミキサーのベーシックを作り上げたモデルだと思う。それに加え、1990年代のターンテーブリストはMelosのDJミキサーを愛用する人も多かった。これは当時のDMCの公式ミキサーに採用されていたという背景もある。

Vestax PMC-05Pro3(※※※)

Melos PMX-2Rpro(※※)

ABO ── Melosは尾崎電子のブランドなんだけど、この会社を立ち上げた尾崎さんの息子さんが1990年代から2000年代にかけてDMC JAPAN(世界最大級のDJ大会)を運営していたりと、尾崎ファミリーは日本のヒップホップ文化史において多大な貢献をしているね。

DJ KENTAROが2014年DMC WOLRDのショーケースで披露したパフォーマンス

1,2 ── DMC JAPANのビデオの中で、「HIP HOPスタイルで放つ直球ストレート」や「突如現れた伏兵」っていう異名を僕に付けてくれたのは感慨深かったな。

ABO ── 大会のビデオを見て育ったDJキッズにしてみたらそればグっとくるものがあるよね(笑)。そんなヒップホップ・ミキサーのイメージが強いMelosも、実はPMX-70Proという高級ロータリー・ミキサーも作っていたんだよな。価格はなんと70万円。当時のジュリアナ東京に一瞬導入されたそうで、90年代に放映されていた「Mega Rave - Passion & Gun From Juliana's Tokyo」のテレビCMで一瞬その姿を確認することができた。

Melos PMX-70pro(※※)

1,2 ── すごくニッチな情報だ(笑)。このDJミキサー、なんでもほんの数台しか作られなかった激レアDJミキサーなんだけど、僕らにとってはすごくなじみがある。

ABO ── そう、僕らが高校生の頃、地元青森県八戸市にあったREMIX RECORDSというレコード屋さんにPMC-70Proがあって、たまに触らせてもらってたからね。

1,2 ── 当時はそんなに貴重なものだって知らなかった。今となっては、なぜあれがあそこにあったのか……。なんかドラマがありそうだよね。

ABO ── 今、あれはどこにあるのかなぁ。いつかお金ができたら、一生かけてでもゲットしたいミキサーです。

Pioneer DJがもたらした「デジタルDJ革命」

1,2 ── 2000年以降に大躍進をみせたのがPioneer DJ。2001年に発売された同社のCDJ-1000は、大型ジョグ・ホイールでアナログ・ライクなスクラッチを可能にする「VINYLモード」が搭載され、使い心地がアナログのターンテーブルにグッと近づいた。今となっては当たり前すぎて想像しづらいかもしれないけど、この機種が発表されるまでは実用的にスクラッチできるCDJは存在していなかった。

Pioneer DJ CDJ-1000

ABO ── 当時のジョグは再生中のテンポの微調整と、頭出しのポイントを見つけるためのサーチで使われていたんだよ。「ダダダダ……」という連続音を聴いて頭出しのポイントを見つけるのってけっこうコツが必要でね。慣れると簡単なんだけど。

1,2 ── 「CDJモードって何のために付いているんですか?」って言われることがありますが、こういった使い方をするためのモードで、20年前の名残りってなわけです。

ABO ── CDJが徐々にクラブのメイン・プレーヤーの地位に食い込んできたのは「誰でも自宅でCD-Rが作成できるようになったから」というのも理由のひとつでもある。

1,2 ── そうそう、1990年代からCD-Rドライブ自体は存在したんだけどメディアと共にまだまだ高価だった。2000年代の半ばには一般的な多くのパソコンに標準装備され、メディアも1枚100円程度になり身近な存在になった。

ABO ── 自分で作ったオリジナル曲をクラブでかけるには、アナログかCDをプレスするかしかなかったから。1枚から作れるダブ・プレートっていうレコードもあるけど、それにしたって安くはなかった。

1,2 ── だから自宅で焼いたCD-Rをレコードに近い感覚でプレイできるっていうのは、DJにとっては待ちに待った時代の到来でもあったんだよね。

ABO ── 多くのクラブにCDJが設置されるようになって、CDだけでプレイするDJも多くなっていった。そうなると、音源の入手方法も変化していった。DJといえばレコ屋でアナログを掘るのが当たり前だったのが、BEATPORTTRAXSOUCEなどのデジタル配信サービスが使われるようになり、ダウンロードした音楽データをCDに焼いてプレイするDJが増えていった。

1,2 ── そう。だからCDJ-1000以降はCDをそのままプレイするのではなく、一度コンピューターに取り込んで必要に応じてデータをCD-Rに焼いてプレイするっていうのが2000年代の感じ。そういう意味ではCDJ-1000が登場した2001年が、業界における「データDJ元年」と言えるかもね。

ABO ── たしかに! しかもあの頃のCDの焼き方は、今でいうところの「プレイリスト」の役割を果たしていて、DJごとに特色が出て面白い時代でもあった。例えば、瞬時にどんな曲が入っているかわかるように盤面に絵も描いておくとか。データDJ元年とは言い得て妙だね。

1,2 ── CD1枚に何曲も収録せず、12インチ・シングルに収録されているのと同じように1、2曲だけに止めておくとかね。いろいろな流儀があった気がする。

ABO ── CDJシリーズの台頭によって刺激されたDJ機器市場は、各社、アナログ感覚でCDをプレイできる方法を探り始める。Technics SLDZ-1200DENON DN-S5000Numark CDXといったターンテーブルのように自走するタイプや、ターンテーブルとアタッチメント・タイプのセンサーを使ってCDを操作できるTASCAM CD-DJ1Vestax CDX-05といったユニークな機種も誕生した。

Technics SL-DZ1200

DENON DN-S5000

Numark CDX

Vestax CDX-05

TASCAM CD-DJ1

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1,2 ── TASCAM CD-DJ1は僕もABO君も持ってた! TT-M1というセンサーのローラーがレコードの回転情報を感知するという、今や一般的になったDVS(Digital Vinyl System)とは別のアプローチでアナログ感覚が味わえるシステムだった。

TASCAM TT-M1

ABO ── ちなみにCDJっていうのはPioneer DJの登録商標だから、他メーカーはDJ用CDプレーヤーっていうべきなんだよね。便宜上CDJって呼んじゃうけどね(笑)。結局クラブ・シーンではPioneer DJ CDJシリーズの地位は2000年代中期には確立されていった。

1,2 ── CDJシリーズのジョグ・ホイールは自走しないけど、それ故の安定感みたいなものもあったんだよ。

ABO ── そして2006年にPioneer DJはDJミキサーの分野でも重要な機種をリリースする。それがDJM-800。現在のスタンダードミキサーであるDJM-900NXS2につながるPioneer DJの4chデジタル・ミキサーの基本形となったモデル。

Pioneer DJ DJM-800

Pioneer DJ DJM-900NXS2

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1,2 ── 本機からBEAT FXに初めて搭載されたロール・エフェクトと各チャンネルに搭載されたSOUND COLOR FXは、DJMシリーズを象徴するサウンドになった。

Pioneer DJ DJM-800のBEAT EFFECTSセクション

ABO ── SOUND COLOR FXのフィルターをかけながらエコーを併用したりと、DJMシリーズ特有のDJテクニックなんかもたくさん生まれたね。しかし何と言ってもDJM-800が貢献したのは「クラブにハイパス・フィルターをもたらした」ことでしょう!

Pioneer DJ DJM-800のSOUND COLOR FXセクション

1,2 ── そうそう。クラブで体験できる気持ちの良いサウンドの一つに、DJが低域をスパーンってカットしてから低音が戻った時の気持ち良さがあるよね。つまりローパス・フィルターよりハイパス・フィルターの使い方次第でフロアを盛り上げられるというわけ。

ABO ── それまではVestax DCRシリーズや、札幌のガレージ・ブランドDOPE REAL Model-3300といった、ハイ・ミッド・ローのそれぞれをノブで完全にカットできるアイソレーターというエフェクターを使用していた。EQでも、それに近いことができるけど完全にはカットできない。

1,2 ── フィルターを使ってミックスするという考え方は、時を同じくして台頭しつつあったALLEN&HEATH X:ONEシリーズの影響もあったと思う。DJM-800がとにかく現場に設置されまくっていたから、この頃からヒップホップDJもPioneer DJのミキサーを抵抗なく使用するようになった。そうなると、DJMシリーズのエフェクトは、使い勝手が良いのでジャンルを越えて業界標準機になっていった。

ALLEN&HEATH XONE:96

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 ただ、この頃もヒップホップの現場ではプレイヤーの標準機はTechnics SL-1200がバリバリ現役で、CDJに移行する人は少数派だった。でも、ヒップホップの現場では、SL-1200などのアナログ・ターンテーブルを使ってPC内の楽曲データをプレイするDVSという仕組みが普及し始めた。Serato Scratch LiveやTraktor ScratchといったDJソフトが代表的で、今や完全に定着したDJスタイルだよね。これが一般化し始める2000年代の中頃くらい。

RANE Serato Scratch Live SL3

Native Instruments Traktor Scratch A10

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ABO ── 今につながるDJテクノロジーが出そろってきたのがだいたいそれくらいの時期だったね。ちょうど現在に繋がるテクノロジーが出てきたところでまた次回!

#_SUPERCOMBO_ の機材夜話

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プロフィール

MEEBEE a.k.a KAZUHIRO ABO( #_SUPERCOMBO_ )
1984年生まれ。1998年より地元でDJ/トラックメイカーとしての活動をスタートし、2002年に上京。さまざまなアートに触れる日々を送りつつ、活動を本格化させる。2008年から新木場ageHaで約2年間に渡って開催されていたパーティ「Cloudland」では毎月2,3時間のロング・セットを行なうレギュラーDJを務めたことで、シーンに独特な存在感を示す。サウンド・クリエイターとしてもダンス・トラックのみならず、美術作品のための音響製作や、パフォーマンス・ガールズ・ユニット「9nine」のライブ音源制作、ファッション・ショーや映像作品のための音楽/音響制作、ゲーム音楽やアニメ劇伴なども手がける。

DJ1,2( #_SUPERCOMBO_ )
日本を代表するターンテーブリスト。ヒップホップ・カルチャーの根付く街、青森県三沢市にて、14歳から独学でDJを始める。その後DMCを始めとする多数のDJバトルに出場し、華やかな戦歴を残す。2003年には19歳という若さで、世界3大DJ大会の1つのITF Japan finalにて優勝。日本代表としてドイツ・ミュンヘンにて行なわれた同大会の世界大会に出場する。その確かなスキルは、玉置浩二、Def Tech、MIYAVIなど、多数の著名アーティストから絶大な信頼を得て、ツアーDJとして選び抜かれる。近年ではNHKへの出演や楽曲提供、海外でのイベント出演等、ターンテーブリストとしての活躍の場をさらに広げている。まさにオールラウンド・プレイヤー。

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